立石武泰さん × 八尋由紀社長 前編
古代から江戸時代まで〜博多の港の歴史を振り返る

写真提供:福岡市

海商が跋扈(ばっこ)する国際貿易港の意外な実像

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八尋

そして、博多は国際貿易港として発展するわけですね。

立石さん

教科書にはそういうふうに書いていますよね。中国や朝鮮との交易が盛んだったと。実際に貿易のために博多を訪れていたのは、海賊みたいな人たちで、教科書に書かれているような立派な人々ではなかったようです。海賊と言うと聞こえが悪いんですが、要は海の商人、海商ですね。武装はしていましたが、自衛のためですね。交易相手がどんな人々なのかわからない。いつ矢が飛んでくるか、刀で切りつけられるかわからないという状況だったので。

八尋

私たちが考える”ビジネス”とはちょっと違いますね。村上海賊みたいな感じなんですね。

立石さん

鴻臚館ってご存じだと思いますが、元は筑紫館(つくしのむろつみ)って呼ばれていました。中国が大好きだった嵯峨天皇が、中国では鴻臚寺という役所で外交交渉をやっていたので、それにちなんで鴻臚館という名称に変えちゃったんですけどね。

写真提供:福岡市

八尋

鴻臚館って大使館みたいなところなんですか?

立石さん

そんなに立派なものではなかったようです。先ほど申し上げたように、貿易に来るのはごろつきみたいな海商です。そのころは663年に白村江の戦い大敗した後で、大陸からの脅威が切実なものでした。でそんな人たちが自由に外を歩き回ると、スパイ行為をする恐れもある。だから、国の代表以外の者と非公式に交易するのはよろしくないわけです。そこで彼らを筑紫館に囲って外に出られないようにした。一種の隔離施設みたいなものです。

八尋

現在の概念と昔の常識は違うので注意が必要ですね。