立石武泰さん × 八尋由紀社長 後編
井上壽一氏のスケッチが語る、ありし日の博多港

相互運輸社長、八尋由紀が水先案内人を務め、博多港を彩ってきた物語を紐解きます。第1回目は、博多の文化遺産の発掘・保存を目的とした団体『ハカタ・リバイバル・プラン』を主催する『立石ガクブチ店』の立石武泰さんにお話を伺います。今回は八尋の従姉妹である藤野恭子(文中:藤野)とその娘であり立石さんの息子さんの同級生でもある藤野絢子(文中:絢子)、八尋の父・脩の従姉妹の乃美吉江も同席しました。

<前後編の後編>

立石武泰さん

1921年創業の『立石ガクブチ店』の3代目店主。往年の風情を色濃く残す博多町家造りの店舗は、『博多百年町家』として一般にも公開しています。レトロな生活雑貨やおもちゃのほか、太平洋戦争中に掘られた防空壕も見ることができます。また、2008年にはまちおこし団体『ハカタ・リバイバル・プラン』を設立。歴史を正しく学ぶことにより郷土愛を育むことを目指し、日々活動を続けています。

立石ガクブチ店 公式サイト

博多で活躍した日本画家、井上壽一画伯の功績

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八尋

額縁店に入ってすぐの土間には、繊細な水彩のスケッチがディスプレイされています。これはどなたの作品なのですか?

立石さん

すべて井上壽一という日本画家の方が描かれたものです。長崎出身の方です。ご存じグラバー邸の主人であるグラバーさんの息子で、倉場富三郎さんという方がいらっしゃいます。この方は実業家であり水産学者で、『日本西部及び南部魚類図譜』という魚の図鑑を編纂したんですね。カラー写真なんてない時代ですから、絵師を雇って魚の絵を描いてもらった。そこに参加した画家の一人が井上壽一さんです。その後、博多の大濱小学校や奈良屋小学校で図画の先生としてお勤めになったほか、松尾文具店の一室に画塾を開き子供たちの指導にも当たっていました。

八尋

ここに飾ってある絵だけでもかなりの数ですが、どのような経緯でお手元に来たんですか?

立石さん

壽一さんがお亡くなりになった後、残された絵は娘さんが管理されていました。娘さんも終活を始めるに当たって「絵を全点引き取ってくれるなら譲る」とおっしゃったので、私どもで引き受けたのです。ここに飾ってるだけではなく、全部合わせると1万点近くの絵を現在管理しています。

絢子

ここに飾っているのは博多港に関連したものなんですね。

立石さん

壽一さんは、子供たちに絵を教えるかたわら、昭和3(1928)年から昭和36(1961)年まで中央埠頭の築港工事を写生しました。そこで、今回、『新発見!博多港 THE 中央埠頭』と銘打って、それらのスケッチを『立石ガクブチ店』で展示することにしました。