九州大学 伊藤幸司教授 × 八尋由紀社長
目から鱗の連続!中世の博多にタイムスリップ

沈没船の積荷が物語る日宋貿易の規模

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八尋

「日宋貿易」と言うと、平清盛が旗を振って盛んになったと思っていましたが、そうではないんですね。

伊藤教授

日宋貿易の当事者は、日本の商人ではなくて、博多に住み着いた宋海商です。どうして、八尋さんのように勘違いされる方がいるかと言うと、中国側の史料に「日本商人」って出てくるんですよ。これを見て「日本人の商人が来たんだ」というのは誤りで、「日本商人」イコール「日本からやって来た商人」なんです。つまり、この言葉が指しているのは、「日本から来た宋海商」のことなのです。

八尋

貿易の規模はどのくらいだったのでしょう?

伊藤教授

規模を端的に示してくれるものがあります。韓国の木甫(モッポ)というところの沖合で沈没船が発見されました。時代は少し下がりますが、この船は14世紀の初めに大陸から博多へと向かっていたことがわかりました。引き上げられた船は、木甫の博物館で展示されていますが、その積荷を見ると、陶磁器が18,600点あまり、銅銭がおよそ28トン、約800万枚。加えて、東南アジアの紫檀材が約1,000本(写真参照)。これらは、数百年間海の中にあっても腐らなかったものですが、当然、書物や美術工芸品、織物など、失われてしまったものもあるわけです。

沈没船の積荷

八尋

船1艘でこんなに莫大な量が積まれていたということは、日宋貿易全体を考えるとかなりの規模になりますね。

伊藤教授

水中考古学といって、海中で見つかった遺物を研究する学問があります。欧米や韓国、中国などはすごく力を入れています。中国はスケールが大きいですよ。干潟で船が1艘出てきたら、船の周辺も含めて一気にサルベージします。

八尋

日本はどうですか?

伊藤教授

長崎県の鷹島で元寇の際の沈没船の一部を引き上げたり、日本でもやってはいます。でも、中国や韓国に比べると大幅な周回遅れです。悲しいかな、そこに付けられる予算が、日本にはありません。海に囲まれた国なのに、この状況は非常に残念ですね。