九州大学 伊藤幸司教授 × 八尋由紀社長
目から鱗の連続!中世の博多にタイムスリップ

実はラーメンも博多から全国へ広がった!?
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伊藤教授
宋海商は大陸の様式をいろいろと博多に持ち込みます。その代表的なものが禅宗です。宋海商のお寺が博多にできたのです。聖福寺や承天寺などですね。これらの寺院は、単なる信仰の場としてではなく、貿易センターとしての役割も果たします。
八尋
当時のお寺は、宋人も出入りするとても国際的な場所だったんですね。
伊藤教授
宋から入って来た物はたくさんありますが、実は桶もそうなんです。元々、桶は、いまで言うコンテナのような使われ方をしていました。この中に焼き物などを入れて運んでくるわけですが、博多で荷揚げしたら空っぽになりますよね。それを捨てずに再利用したというわけです。
八尋
桶は元々コンテナみたいなもの! それは意外です。
伊藤教授
あと挙げるとしたら言葉ですね。江南地方の方言が入ってきます。たとえば、うどん。「饂飩」という漢字の読みは、唐宋音といって、江南地方の方言なんです。
八尋
確かにこの漢字は「うどん」とは読めないし、この漢字を書こうと思っても書けません。
伊藤教授
あとは、いまはあまり使いませんが「行灯」。「行」を「あん」と読む。いま八尋さんが座っている「椅子」。こちらは「子」を「す」と読みますね。これらはすべて唐宋音です。これらの言葉が平安時代から鎌倉時代のころに入ってきて、そのまま定着するんです。
八尋
なんとなく中国から来た言葉だろうとは思っていましたが、深く考えたことはなかったなぁ。


伊藤教授
お茶、喫茶文化もそうですね。抹茶を立ち売りする様子を描いた画も残っています。これが後に茶道に発展します。つまり日本の伝統文化のルーツの多くは、中国江南地方の文化なんですよ。おもしろいところでは、ラーメンがあります。
八尋
ラーメンが中国から来たことはみんな知っていますよね。
伊藤教授
そうですね。では、日本のラーメンの原点はどこにあるのかと言うと、『新横浜ラーメン博物館』のホームページには、1488年に”日本初の中華麺「経帯麺」が食べられた。”とあります。実はこの「経帯麺」という言葉は、龍泉令淬という人がつくった詩にも詠まれているんです。
八尋
龍泉令淬とはどなたですか?
伊藤教授
この方は博多の承天寺の住職をされていた方で、亡くなったのは1488年よりも以前の1364年です。ということは、『新横浜ラーメン博物館』が主張している「日本初の中華麺」は、承天寺で食べられたのではないかということです。ラーメンのルーツは最初博多に入って、それから全国に広がったのではないでしょうか。
八尋
博多が大陸と経済でも文化でもつながっていたことを実感します。
伊藤教授
ところがこういうふうに貿易が活発だと、真っ先に攻められるというリスクもあるわけです。11世紀前半には「刀伊の入寇」という事件が起こりました。刀伊というのは現在の中国東北部、要は満洲の人々です。彼らが博多湾を襲撃したのです。その後は、モンゴルにも攻められますよね。貿易の最前線が戦争の最前線になってしまうのです。